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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)8232号 中間判決 1962年12月07日

原告 株式会社極東設計事務所

被告 エドガー・ビー・シヤープ

主文

被告の仲裁契約に基く抗弁を却下する。

事実

被告訴訟代理人は、本案前の抗弁として仲裁契約に基く抗弁を提出して「原告の訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。

被告訴訟代理人が本案前の抗弁として主張した理由ならびに原告の主張に対する答弁の要旨は次の通りである。

一、原告は本件訴訟において、請求の趣旨として「被告は、原告に対し金八一九、〇〇〇円およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和三五年一一月二〇日以降完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。この判決に対しては仮執行の宣言を求める。」との判決を求めているが、その請求原因とするところは、昭和三三年八月一九日、原、被告間に成立した被告を注文者、原告を請負人として被告肩書住所地に被告住居を建築する請負契約に基く原告の受くべき報酬金の請求であつて、右契約の内容は、同日作成された契約書(甲第一〇号証)に詳細に規定されている。ところで、右契約第一八条には「この契約またはこの契約の違反に基因して意見の不一致を生じた場合においては、その意見の不一致を生じている問題は、これを仲裁手続に付し、仲裁手続による仲裁判断に基く判決は、管轄権ある州または連邦裁判所においてこれを行うことができる。仲裁人による裁定は、当事者の一方が相手方に対し訴訟を提起する権利の前提条件たることを互に合意する。仲裁手続は、アメリカ建築設計者協会所定の仲裁手続、またはアメリカ仲裁協会の規則に従い、または日本建築設計者協会の定めるところによりこれを行う。」なる仲裁契約条項がある。右条項によれば、原、被告は、原告主張の請求原因である契約に基く一切の紛争について、予め右条項所定のいずれかの仲裁機関による仲裁手続を経由することなしには訴訟を提起しないことを合意していること明らかである。しかるに原告は、右手続を経ずして、直ちに本訴を提起したのであるから本件訴は不適法として却下されるべきものである。

二、被告が本件訴訟において本案について弁論した後、第九回口頭弁論期日に、初めて本件仲裁契約に基く抗弁を提出したのは被告において本件契約書(甲第一号証)の検討が遅れ、仲裁契約に関する規定の存在を被告代理人らが知らなかつたゝめである。右の事情にあつたのであるから、被告が本案について答弁したことは本件抗弁権を抛棄したことにはならず、時機に遅れたものともいえない。

原告訴訟代理人は、被告の仲裁契約に基く抗弁に対する答弁ならびに主張として、大要次の通り述べた。

一、被告主張の日時、被告の住居、建築に関し、その主張の契約書(甲第一号証)に基く契約が成立し、その第一八条に仲裁契約条項の定めがあることおよび原告は仲裁契約に基く手続を経ることなく本件訴を提起したことは認めるが、原告主張の請求原因は、被告主張の如き請負契約に基くものではなく、原告は被告との間に、昭和三三年八月一九日、被告住居を原告において設計図面を作成し、被告のために請負業者を選定して、請負契約を締結し、工事の施行監督をすることを内容とする委任契約を締結し、右契約に基く報酬を請求するものである。原告は右契約において設計者であつて、請負人ではない。被告主張の第一八条は、注文者である原告と請負人との間に生じた紛争について適用があるものであつて、設計者である原告と注文者である被告との間の紛争については適用がない。

二、仮に被告主張の仲裁契約条項が原、被告間の本件紛争に適用があるとしても、被告は本件契約書(甲第一号証)の内容を本訴提起前知りながら本件第九回口頭弁論期日に至つて初めて、本件仲裁契約に基く抗弁を提起したのであるから、右抗弁は時機に遅れたものとして却下されるべきものである。

<証拠省略>

理由

原、被告間に昭和三三年八月一九日、被告の住居建築に関し、被告主張の契約書(甲第一号証)に基く契約が成立し、右契約の第一八条に被告主張の仲裁契約条項が存在したことおよび原告が右条項に基く手続を経由することなく本件訴を提起したことは当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第一号証と原告代表者本人および被告本人の各尋問の結果を綜合すると、本件仲裁契約条項は、被告の住居建築に関する請負人と注文者である被告との間の請負契約に基く紛争を解決するため設けられたものであることを認めることができ、これに反する証拠はない。そうすると右仲裁契約条項が原被告間の本件紛争に適用があるかどうかの点は、被告住居の建築に関する本件契約が被告主張の如き請負契約であるか、原告主張の如き委任契約であるかの性質決定、すなわち原告は請負人であるか単なる設計者であるかに左右される問題である。ところで右契約の性質決定は、本案の判断に重大な影響があることは弁論の全趣旨に照らし明らかであるから、この点は本案判決において判断すべきものであると考え、右仲裁契約条項が本件紛争に適用あるか否かはしばらく措くことゝする。そこで被告が主張するように仲裁契約条項が被告住居の建築に関する原、被告間の一切の紛争に適用があるとの仮定の下に考えるに、本件仲裁契約条項の存在は、本件訴を不適法のものとする抗弁事項であるから、被告はこれを抗弁として主張して、訴の却下を求めることができると共に原告において仲裁契約条項を無視して訴を提起した以上、右抗弁権を抛棄して、本案につき弁論することができることは自明のことである。しからば右抗弁権は訴訟の如何なる段階においてもこれを行使し得るものであろうか、被告の利益を重視するならば本件口頭弁論終結に至るまで、これを行使し得るとすることができよう。しかしこの見解に立つときは、原告の訴訟上の地位は著るしく不安定であり、訴訟経済にも反することは明らかである。一体仲裁契約は、私的自治の原則上認め得るものであるから契約当事者はいつにても合意の上仲裁契約を解除することができるものであり、訴を提起しようとする者が、右契約の解除を希望するならば、右契約の存在を無視して、訴を提起しても、そのこと自体は自由であつて、裁判所としても被告の抗弁権の行使なき限り、仲裁契約の存在を無視して本案につき審理判決すべきものである。この場合被告は、抗弁権を行使する自由を持つているのであるから、訴の提起自体によつては、被告の利益は害されず、公平の理念にも反するところはない。たゞ権利の行使には、公益と公平の理念から自ら制限があるものであつて、被告の利益を擁護するためには、抗弁権の行使について、被告に対し被告が応訴して、本案の弁論をなすまでの期間においてその機会を与えれば十分である。ひとたび被告が本案について弁論を行つた場合は、そのことによつて被告は抗弁権を抛棄したことゝなり、抗弁権は消滅したものと解すべきである。尤も右の結論は被告が仲裁契約条項の存在を知つていること、もしくは重大な過失によつて知らなかつた場合であることを前提とすることは公益と公平の理念から当然のことといわねばならない。さらに訴訟代理人が訴訟を追行する場合は、右代理人について、仲裁契約条項の知、不知およびそれに関する故意過失を問題にすべきであるが、被告の重過失に基いて訴訟代理人が不知であるときは、被告は右代理人の不知を利益に援用することはできないと解するを相当とする。

ところで被告は昭和三六年二月九日の第二回口頭弁論期日に本案について弁論を行つて以来第四、五、七回の各口頭弁論期日に同様の弁論を行い、右第五回口頭弁論期日においては原告提出の本件契約書(甲第一号証)の成立を認めたが、昭和三六年一〇月二一日の第九回口頭弁論期日に初めて本件仲裁契約条項に基く抗弁を提出したことは本件記録上明らかである。また前掲甲第一号証と原告代表者本人および被告本人尋問の結果によれば、被告は本件契約成立の当初から右仲裁契約条項の存在を十分知つていたことを認めることができ、これに反する証拠はない。被告は抗弁の提出が遅れたのは、被告訴訟代理人が仲裁契約条項の存在を知らなかつたゝめであると主張するけれども、以上の認定事実と本件記録上明らかである以下の事実、すなわち被告は昭和三五年一二月一日付被告訴訟代理人妹尾晃に対する訴訟委任状をアメリカ合衆国カリフオルニヤ州ロスアンゼルス市において作成して日本に送付し、右委任状は右代理人から昭和三五年一二月六日当裁判所に提出され、爾来右代理人は、本件口頭弁論期日毎に出廷し、さらに被告は、第七回口頭弁論期日である昭和三六年七月一五日にその余の被告訴訟代理人四名に本件訴訟を委任し、右委任状は「訴訟委任状」と題する日本文字の通常の書式のもので、訴訟代理人妹尾晃の法律事務所の所在地の記載のある委任状である事実から、右七月一五日までに被告が被告訴訟代理人らと面接して本件事件につき打合せの機会を得たかどうかはともかくとして、少くも昭和三五年一二月六日以降昭和三六年七月一五日までに被告は、訴訟代理人妹尾晃と通信の方法によつて本件事件について十分の打合せを行い得たものと認められ、これに反する証拠はない。したがつて仮に被告訴訟代理人らが本件仲裁契約条項を知らなかつたとしても、被告が右事実を前記期間内に訴訟代理人らに知らさなかつたことについて重大な過失があるものといわなければならないから、いまさら被告は、訴訟代理人らの不知を利益に援用することはできない。

以上の通りであるから被告は、昭和三六年二月九日の第二回口頭弁論期日以降遅くとも昭和三六年七月一五日の第七回口頭弁論期日には本件仲裁契約に基く抗弁権を抛棄したものというべきである。

よつて被告の仲裁契約に基く抗弁権は、抛棄されて消滅しているから理由がないものとし、主文の通り判決する。

(裁判官 西山要)

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